母のこと①

最近、よく母の人生について考えます。

母はこどもの私からみて、「可愛いお母さん」でした。

 

父は恐怖の対象でしたが、母を怖いと思ったことは一度もありません。

母には本当に感謝しています。

 

母は、自己愛性パーソナリティ障害の父に支配されていました。

自己愛性パーソナリティ障害の相手は共依存になりやすいそうです。

 

母は、情に厚い人で、若干「共依存」のような状態ではありました。

父がたまにみせる優しさを「愛情」と勘違いしているところがありました。

 

なので、母は父にどこか期待していたのだと思います。

私も同じように父に期待していた所があるので人の事は言えませんが…。

 

自分の思う通りの中では、父は怖いけど優しい人でした。

父との決別後に優しいときの父を思い出し、「自分は親不孝者だ」と自分で自分を追い詰めてしまう日々がしばらく続きました。

 

母もおそらくそうだったのでしょう。

父が一時期(数週間程度続くこともある)見せる優しさで、数か月に1度の頻度で「最近お父さん優しいよ」「うまくやってるよ」と私に電話で報告してくることがありました。

まぁ、長続きしないのですが。。

 

 

少しでも自分の思う範囲を超えると激高し手が付けられないほど暴れるのです。

優しくされた記憶と同時に、恐怖で支配されていた日々も事実です。

 

父は自分が暴れたことを一度も謝ったことはありません。

そうさせた相手(母やこども)が悪いと心底思っているからです。

 

普通の人間は、激高し暴れてしまったら「自分はなんて未熟者なんだろう。」と恥じることでしょう。

しかし、父にはそのような思考が一切ありません。

 

母や私たちはこのことに長い間気づいていませんでした。

まさかそんな思考の人間がいるとは思わないからです。

「父は謝りたいのに謝れないでいるのだ。」と信じていました。

 

そのせいもあって、母や私たちは「父が母の事を尊重し大事にしてくれるようになるのではないか」ということをどこかで期待していたのです。

 

大前提として、私たちの思考とは違う人間なのだということに気づいていれば、母は病気になることもなく、離婚して新しい人生を歩んでいけたことでしょう。

 

父の思考を長年誤解していたので、母や私たちはストレスに曝され続けることを選んでしまいました。

 

母はこのことに気づくことなく、旅立ってしまいました。

悔やまれてなりません。

 

 

 

お母さんへ

 

お母さん、そちらはどうですか?

自分のやりたかったこと、たくさんしてください。

 

色んなことを制限するお父さんから解放してあげられなくてごめんなさい。

お母さんの愛で、私たちはこれから続く人生を歩んでいけます。

 

愛してくれてありがとう。

私も、私のこどもたちへお母さんからの愛をつないでいきます。

 

小学生,低学年,いじめっ子,親,声掛け

数年前、自分の子供がある特定の子から意地悪をされていました。

いじめっ子って、自己肯定感低いんですよね。

いじめっ子の親が気づいて、その子の人生のためにちゃんとケアしてほしいものです。

いじめっ子のためにも、道徳の授業で「いじめをすることはダサいこと」だと教えてほしい…。

 

いじめっ子からの被害は、

「お前は仲間に入れない」「あっちにいけ」「そんなこともできないの」

などなど。

うちの子は、よく泣いて帰ってきていました。

毎日一緒に登校する必要があった子だったので、逃げたくても逃げられず…。

その時は、学校側が決めた班での集団登校だったんですよね。

今はもうないです。

 

そこの親は、こどもの言うことを何でも聞いてしまう親で、価値観がかなり違いました。

人に迷惑をかけても、「もー。」で終わらせる親です。

何度心の中で、「ちゃんと叱ってよ!親が教えないでどうするの!」と思ったことか。

でも、波風を立てたくないので何も言わないようにしていました。

 

事態は改善せず、半年以上が経過していました。

私とこどものストレスはかなり続きましたね。

 

波風を立てずに、いじめっ子や親に「私はあなたがうちの子にしていることを知っている。」ことを伝える術を考えました。

 

直接的に言っても、「そんなことしていない」と白を切る可能性があったので、その子の特性を考えました。

その子は、人からの評価をすごく気にするタイプの子でした。

仲間外れをしたがるくせに、自分が仲間外れにされることを恐れている感じです。

相手が自分に対して嫌な態度をとると、途端にご機嫌取りをしてくるんです。

(タイプは少し違うけど、幼い頃の私を見ているよう…(*´з`))

 

考え抜いた結果、ある言葉を伝えました。

その子の態度がその時から一変しました。

今では、嫌なことを言うことはなくなりましたね。

 

しかも、その後しばらくはかなり仲の良い時期を迎えます。

(その後、同じクラスになったので…。できればあまり関わりくなかったですけどね。)

 

今はクラスも違い、集団登校もなくなったので、たまに挨拶をする程度になっています。

 

さて、本題。

私がその子に言った言葉。

 

集団登校の集まりで、その子の親がいる前で

「いつも仲良くしてくれてありがとう。」

と伝えたんです。

 

いじめている子の親に言われ、その子はきょとんとしてましたね。

しかし、私は大きな声で笑顔で伝えました。

 

すると、なにも知らないその子の親は

「ありがとうだって!よかったね!」

だと。(笑)

最大限の嫌味を伝えたんですが、この親。流石。何も気づいていない。

 

でも、これが効果テキメン。

その後、この子の特性をつかんで、プラスαでなめられないように私自身もその子に対する態度を変えました。

 

今までは、その子の面倒を見るときは「ダメだよー。お母さんに伝えるよー。」くらいにしか言っていなかったのですが、「別にいいよー。お母さん怖くないもん。」と言い返されていました。

まぁ。憎たらしい。大人にこんな反応。逆にすごい。

 

その子の親がいる前ではその子の親に任せますが、私が面倒を見ているときは叱らなければならない場面できちんと叱るようにしました。

「〇〇君、それはしてはダメ。危ない。ケガをするよ。」

「それは、あなたの家のルール。ここは、あなたの家ではありません。」

「大人にそのような態度を取ってはいけません。とても失礼です。」

などなど。

 

<いじめっ子に対する対応>

あえて「仲良くしてくれてありがとう」と伝え、こちらが観察していることをいじめっ子に認識させる。

プラスαで、親として、大人として、叱らなければいけない場面で子供になめられる態度はとらないようにする。

 

この方法は、親自身がいじめっ子と顔見知りである場合は、かなり有効だと思います。

でも、親の知らないところで親が知らない友達関係で悩むことがあるかもしれません。

 

その時は、また別の方法を検討しないといけませんね…。

機能不全家族,アダルトチルドレン

父のことを調べるうちに、家族のこと、自分自身のこと、長年の悩みが芋づる式に解明されました。

 

私の実家は機能不全家族だったのです。

絶対的な権力をもった父親。

母や私たちは、逆らうことは絶対に許されませんでした。

「絶対に」です。

父にとって、私たちは「父の所有物」でした。

そしてその機能不全家族で育ったおかげで、私たちはアダルトチルドレンになったということです。

 

なるほど…。

私のずっと感じていた「生きづらさ」の正体は、ここにあったのです。

 

自己肯定感が著しく低く、他人からの視線を気にしてしまう。

そのくせ、バカにされたくないという気持ちから、つい他人に誇大な自分を見せようとする。大した能力もないのに。

そしてその発言の後、自慢をした自分を恥じ、自己嫌悪を繰り返す。。。

 

最近は、個人的に環境の変化があり、人との接触がかなり減りました。

そのおかげで、精神面がかなり安定しています。

コロナ禍で人との関係が希薄になったことは、アダルトチルドレンの私にとっては有難い状況でした。

 

自分勝手な話ですが、人との関係が減り、自分の嫌な面を人に見せなくてよくなったことが精神面に良い働きました。

 

ただし、コロナ禍での状況が少しずつ変化してきていて、また以前のような人間関係も戻ってくることでしょう。

 

この機会に自分自身を認めてあげることに最大限注力し、誇大な自分を見せる必要なんてないのだと思えるようになれたらと思います。

 

機能不全家族で育ったことは悲しいですが、過去を変えることはできません。

過去はどうあれ、父と絶縁し、今は自分の人生を自分のために歩んでいくと決めたのです。

新たな自分を築いていこう。

 

大丈夫。

誰も私のことなんて気にもとめていない。

自分を大切にしてあげよう。

かっこ悪くても大丈夫。

 

誰かと話すときは、自分の話は置いておこう。

自分のことは、自分で理解してあげてるからいいじゃない。

人に何かを自慢する必要なんてないよ。

 

毎日、明るく楽しく生きていこう。

自己愛性パーソナリティ障害の父と絶縁しました⑤

また、親戚から連絡ありました。

もう勘弁してほしいです。

自分の精神状態がやっと普通に戻りつつあるのに、強制的に以前の状態へと連れていかれます。

 

携帯を解約し、どこか遠くに引っ越してしまうのもありかもしれませんね。。。

 

 

すごいことに、この状況においても父はまだ関係が修復できると思っています。

しかも、父は全く悪くなく、私たちが謝る前提でいるのです。

事実が父の中で歪曲され、みるみるうちに私たちが全て悪いということになっているようです。

 

はっきり言って、弁護士を通した理由やこちらの決意を理解していないことに驚きます。

 

そもそも、縁を切ると言い出したのは父です。

昔からよく「縁を切る」「出ていけ」「お前なんかいらない」と言われてきました。

それを実行したんですが、なぜ復縁したいのでしょうか。

しばらく、頭が混乱しました。

しかし、普通の人間には理解できるはずがないのです。

 

これもまた、自己愛性パーソナリティ障害ならではの考え方だったということです。

 

不用意に「縁を切る」などの言葉を普通の人間は使いません。

それは、もうそうすると決断した時のみ放つ言葉です。

 

そう。自己愛性パーソナリティ障害の人は、軽々しくこのようなワードを出すのです。

そして、その言葉で相手を驚かせ、コントロールしようとするのです。

絶縁前までは、常にこちらが折れていたのもよくなかったですね。

 

父はいつも他者が謝罪する流れで満足し、「許してやった自分」に酔いしれるのです。

今回も同じようになると考えていたのでしょう。

 

でも、流石に驚きました。

父が私たちをいらないと宣言したのが、まるでなかったかの様に親戚に話すので。

 

父が自分の障害を認識して、劇的に精神面が変わるのであれば会うことも可能かと思います。

けれど、それは無理でしょう。

 

可能性があるのは、父が暴言や暴力をふるえない程度に老いることですかね。

その時に初めて、私たちは「怖い父」とやっと対峙できます。

 

とにかく、「怖い」これに尽きます。

 

同じ気持ちを持つ人へ。伝えたいことがあります。

 

とにかく逃げて。逃げてください。

あなたの人生です。誰かに支配されるために、あなたは生まれたのではありません。

逃げることへ、罪悪感を抱かないでください。

あなた自身があなたを愛さなければ、あなたはいつまでも自分の人生を歩めません。

あなたが自分を大切に愛せたとき、人生は明るくキラキラしたものに変わるはずです。

 

一緒に、大切な自分の人生を取り戻していきましょう。

 

こどもを叱ると怒るの分別,振り回される気持ちを整理する

最近、「叱らない子育て」を実践されている親御さんを見かけます。

でも、「叱らない」ことは本当に正しいのでしょうか。

 

私が思うに、

巷によく聞く「叱らない子育て」とは、「怒らない子育て」のこと指すと思います。

 

「叱らない子育て」ではなく、「怒らない子育て」というネーミングに代えてほしいです。。。

 

と、いうのも、ご近所にいるんですよ…。

間違った叱らない子育て」を実践している方が。。

後ほど、お話します。

 

「怒らない子育て」には、私も大賛成です。

 

私の親は、恐怖でこどもを支配する親でした。

とにかく、父の機嫌を取ることを最優先の家庭でした。

父が機嫌を損ねると体罰や暴言は当たり前。

激高した父を止めることができる人間はこの世にいません。

そんな家庭で育ちました。

 

なので、自分のこどもたちには、家庭は居心地のよい場所にしてあげたいです。

親=暴君ではなく、親=理解者になるべきだと思います。

 

怒ることはダメです。しかし、叱ることは必要です。

 

前述での話ですが、近所の子がまぁ厄介なタイプです。

間違った叱らない子育て」を実践しているお宅がありまして、うちの子と同学年のA君とBちゃんがおります。そのお宅の子供たちがすごいんです。(しかも二人とも同じタイプの子ども)

 

<A君とBちゃんのダメなポイント>

・大人に対しての礼儀はない(基本、なめてる)

・毎日のように家に入りたがる・泊まりたがる(人のものを欲しがるタイプ)

・家に入ってからの態度が横柄(ここは誰の家でしょう)

・私の子への扱いが命令口調な上に、ちょっと自分と違う意見を口に出すとキレる(周りの子は、この子が怒らないように従うのみ)

・悪いことをしたのをみて「ママにいうよ」と伝えると、「ママは優しいから別に何も言わないよ」と言い返す(さすが、間違った叱らない子育て。しつけが行き届いている。苦笑)

 

かれこれ3年ほど我慢して付き合いを続けましたが、最近距離を置きました。

こっちが損をするばかりで、気疲れするんです。

 

距離を置いてからは、ストレスが激減しました。

 

そして、しばらくして、近所にも私同様の悩みを持った方がいたことが判明。

その方と話していると、まぁいるいるーーー。同じようにA君Bちゃんに悩んでいた人たち。

もっと早くに聞きたかった。。。

 

私は、どうしても「自分の方に非があるのでは」と考えるタイプなので、彼ら(その子の親も含め)との距離を置くのにすごく時間を要しました。

 

対人関係で悩んだ際は、「自分に非があるのでは」と思い悩む前に、周りの方の意見も聞いてみるべきですね。

 

その話を聞いてから、心が更に解き放たれた感じがしました。

どこかで、「距離を置くと可哀そうかな」とか考えていたんです。

以前の父に対する思いと似たところがありますね。

 

「相手に非があるのでは」と思うことも、自分を守るために必要なんですね。

「相手に非があった」と考えても、こちらから攻撃をすることはないので、そう思う分には良いのではないでしょうか。

 

自分を守ってあげることも少しずつ考えていこうと思います。

 

「相手に非があるのであって、自分のせいではない。気にしない。これ以上、こちらがすることは何もない。」

 

うんうん。そうだよ。私。

少しずつ、少しずつ、今ある幸せに感謝

父との関係を断って、あの恐怖心から解放されました。

 

しかし、父の事は頭をかすめます。

でも一番考えて辛いのは、母の事です。

母が病気になったのは「父のせいだ。」と母自身も周囲のみんなも声をそろえて言っていました。

 

母の口癖だった「私の人生って何だったんだろう。」を思い出しては、「母の人生はなんて辛かったんだろう。」と考えてしまいます。

 

今、元気で同じような考えを持っている人は、その場から逃げ出してほしいです。

 

生きづらさを感じる人は、実は自分自身だけの問題なのではなく「親や配偶者からの支配」に起因していることも多いはずです。

 

私は、人間関係に悩みやすいタイプです。

 

しかし、父との一件で、私の人間関係の悩みは「他者についての悩み」ではないことがよくわかりました。

 

子供の頃から「自分が他者からどう評価されているのか」を気にしている自分がいます。

自己肯定感が低いので、他者に自分の評価を求めてしまうのです。

 

親の顔色を伺い、友達の顔色を伺い、職場で上司や同僚の顔色を伺う。

 

この年になっても、どれだけ自分がないのだろうか…と悲しくなります。

 

でも、そんな私にも一つだけ評価を気にしない場所があります。

それは、自分が築いた家庭です。

 

今まで、こどもたちや夫にたくさん救われてきました。

 

夫は、とても理想的な自己肯定感の持ち主です。

 

まず、夫の口から他人の悪口を聞いたことがありません。

他人に嫌味を言われても、「なるほど。(色々な考え方があるなぁ。)」という風に否定はせずにしっかりと聞くことができる人です。

 

ある意味、聞き流す力に長けているのかな…

鈍感力って本当に大事。

 

ほぼ毎日、怒鳴り声が聞こえる家庭で育ったので、私は自己肯定感の低い人間に育ちました。

自己肯定感の低さから、他者へ誇大な自分を見せることも多かったです。そして、そのまま他者を攻撃することも度々ありました。

 

昔からそんな自分がとても嫌いで、「なぜこんな人間なんだろう」と自己嫌悪の中で生きていました。

 

夫と出会ってから、少しずつですが自分の性格に変化が出てきました。

結婚してからも、私が一方的に短気になって口うるさくすることがあっても、そこから喧嘩に発展したことは一度もありません。

 

いつも、私がガミガミと言わなくてもいいようなことを言って、最終的に勝手に私が反省して謝るという構図です…。

(夫がこんな妻から逃げ出さないことに、ただただ感謝です…。)

 

とにかく、夫の性格や考え方は、お手本にさせてもらうことがたくさんあります。

 

子供たちには、「お父さん(夫)のような人になったらいいな」とよく話しています。

「お母さん(私)もお父さん(夫)のような優しい人間になりたいな」と自分の願望も添えて話すことも多いです。

 

子供たちはお父さん(夫)を尊敬し、優しいお父さん(夫)が大好きです。

私もそんな家で育ちたかった…。

 

穏やかな人と生活していると、徐々に自分も穏やかになってきていますね。

生活環境や人間関係で、性格が形成されていくのだなと身を持って感じています。

 

他人からの評価なんて、あってないようなものです。

だって、他人にとって、私(あなた)はそんなに重要じゃないんです。

そもそも、その他人からの評価なんて、どれだけ間違っていることか…。

 

一番大事なのは、自分が「幸せを感じる力」を持てるかどうかです。

 

今ある幸せに日々感謝し、夫や子供たちにも感謝する気持ちを大切にしようと思います。

自分のために、生きる。

また、親族から父の話が出ました。

でも、もう私はぶれません。

 

だって、問題は私たちの方にあるのではなく、「父の性格」なのだから。

ここに至るまでに、心をすり減らしました。むなしい時間の使い方です。

 

あの一連の騒動は、氷山の一角です。

今までに、同様の騒動は何度もありました。

 

でも、根本にある問題は「父自身の性格」です。

そのことに、今更気づきました。今更。

 

父があのような性格でなければ、そもそもこのような騒動は起きていません。

起きるはずがありません。

 

父は、ご近所付き合いでも、親戚付き合いでも、たくさんの「敵」を作ります。

でも、父の本当の敵は父自身なのです。

それに本人は全く気付いていません。

 

そして、そのことについて、初めて助言をした弟にも敵意を抱き、助言の意味を理解することもできないのです。

 

父は「自己防衛のために、他人を傷つけてきた人生」を悔いることはできないということが、よくわかりました。

「この年になって、性格は変わらない」と父が言ったそうです。

 

「この年になって、性格は変わらない」ではなく、「変える意思が全くない」の間違いです。

変えるつもりがない人に、何を言っても響きません。

 

 

私は、過去の私が大嫌いでした。

人間として、未熟で、とても恥ずかしいなと思います。

 

 

でも、人は、何歳でも考え方は変えられます。

現に、私は、過去の自分から少しずつ変化していることを実感できています。

 

今まで何事にもモヤモヤと悩んでいた時間が、劇的に減っているのです。

 

悩むために生きているような性格だったので、これはすごいことです。

 

自分のために、生きる。

やっと、息の仕方がわかってきました。