父の考える「話し合い」とは
父は自分が気に入らないことがあると、「激怒」し、その後いつも「話し合い」を求めます。
※激怒したことを、反省・謝罪したことは一度もありません。父は、話し合いよりも、この激怒によりどれだけ人を傷つける発言や暴力を行っているかを考えるべきです。
母はこれが大嫌いでした。
母が病気になったころから、母はこの「話し合い」から逃げるようになりました。
今までの母にとっては、大きな抵抗です。
そもそも、大病の母を怒鳴りつけるあたり、何を考えているのでしょう。
なぜ、母が逃げるようになったのか。
それは、その「話し合い」が「父が勝つためだけの、自己満足な話し合い」だったからです。
とにかく、自分が満足したいだけなのです。
母を言い負かして、「どうだ!やっぱりお前が間違っていただろう!さぁ謝れ!」と言いたいだけです。
そこに、「自分が間違っているのかも」という心理はありません。
父にとっては「話し合い」は勝負の場で、勝負をして自分が勝たないことには終われないのです。
母が、そんな父の「話し合い」を避けるようになって、父は不完全燃焼を繰り返していました。
「話し合い」を避ける母を待っているのは父による露骨な無視です。
無視をされても、母は父の食事を作っていました。
その食事を食べる父を見て「無視してても私が作った食事は食べるのね」と私に話していたのを覚えています。病気で大変なのに、無視している相手によく食事を作ってあげようと思うな…と思いますが。。
私は、父とは違うタイプの性格なのですが、以前は少し「似ている」ような気がしていました。
私の場合は、激怒してしまった場合、
まず第一に、「怒ってしまった自分が人として未熟で、恥ずかしい」と思います。でも、その気持ちを素直に謝れないので、父もおそらくそうなのだと思っていました。
(私の場合、数時間でその恥ずかしさに耐え切れず「私って短気だよね…なんでこうなんだろう…ごめんなさい…」と謝るのですが…)
しかし、父は違いました。
私の中で作り上げた幻想だったようです。
今回の絶縁騒動のことで、父からは「父自身の性格についての謝罪」は全くありませんでした。父にとってはいつものことで、「ちょっときつく言った」レベルなんです。
母は、いつもあのレベルのことをやられていたのだと思い、胸が苦しくなりました…。
母をあの場から救ってあげなければいけなかったのだと、どうしようもない気持ちになります。
母に会いたいです。もっと自分のための人生を送ってほしかったです。
疑念だった「父は自己愛性パーソナリティ障害なのでは…」が、どんどんと確信へと変わりました。
本当に残念です。