自己愛性パーソナリティ障害の父と絶縁しました①
いきなりですが、父と絶縁した話を書きます。
自分自身、精神的に不安定なので、ブログで解消したいという考えです。
まず、父について。
父は「昭和の頑固親父」そのままで、家庭内での暴君でした。
父自身、怖いと思われることを喜んでいました。(意味が分からないですが…)
母は父の顔色を伺い、私たちも幼い頃からそれが当たり前でした。
父は、本当にくだらないことで手が付けられないほど暴れてたんです…。
大人になってからは、父が少なからず温和になってきていることで、私たち子供は少しずつ父との距離が近くなっていきました。
が、ある日、父との距離を誤ったのでしょう。
昔からよく見た風景「テーブルを叩く、皿を投げつける、人をどこまでも虐げる叱責」を目の当たりにしました。
ちゃぶ台をひっくり返す、ガラスを割る、皿を叩きつける(投げつける)、殴る、これでもかと叱責する(モラハラ)、
などは、日常茶飯事だったんですが、久々にやられて大人になった私たちは、かなり引きました。
が、病気の母を人質に取られていたので、その場を何となく切り抜けました。
その後も、父は、私たちに恫喝をしたことを謝罪する気持ちはゼロで、そうさせた子供たちが全て悪いという論理を繰り返します。
謝れと言われても、何を謝るのかが私たちには理解できません。
なぜそんな考え方になるのかをネットで調べまくりました。
見事に当てはまるのが「自己愛性パーソナリティ障害」でした。
私たちが父へ言った言葉は、世間一般的に見て正しい意見でした。
が、父にはあり得なかったのでしょう。
母が他界した後も、同じ論理を繰り返しました。
自分のやっていることを正当化するために、私たちを恫喝し、人間的に言ってはいけないような言葉も私たちに浴びせました。(サンドバッグってこのことですね)
父から「出ていけ!縁を切る!」と言われました。
人生でこのフレーズを聞くのは何度目でしょう。母を父から守ったときに、二度は聞きましたね。他にもあった気がします…。
とにかく、縁を切りたがる人です。
母が亡くなり、守る人を失った私たちは、もう父の支配下に戻ることはやめました。
父は「自己愛性パーソナリティ障害」なのだろう。
きっと、反省はせず、私たちを親不孝者として考え、敵視していくことでしょう。
幸い、同じ考えを持つ姉がいるので、精神的に支えあうことができています。
続きは、また今度。