自己愛性パーソナリティ障害の父と絶縁しました③
前回の続きです。
父と絶縁するにあたって、私たちは、家族を守るために弁護士さんに相談しました。
弁護士さんに、これまでの家族関係や最近の話をしました。
父がよく行っていた「殴るぞ!と怒鳴り、テーブルを殴る行為」は、身体への害悪の告知であり、殴られていなくても、「お前をこうしてやるぞ」という脅迫罪になるそうです。
母は、実際に物を投げつけられたり殴られたりしたことで、顔面にアザができたことがありますがね…(母を私の家に連れて帰ろうと思いましたが、母が拒否しました…。悔やまれます…。アザの写真を撮っているので、最期の切り札として取っています。)
父は「自分の感情を抑えることができないこと」を猛省するべきですが、自己愛パーソナリティ障害者にそれは無理だそうです。実際に、父は自分が悪いとは考えておりません。
そうなると、私たちはもう逃げるほかありません。もちろん安全に。
私たちは、次に父が何かアクションを起こしたら、弁護士さんへ依頼することを決めました。
数日過ぎたころ、父からのアクションがありました…。
とにかく、怖かったです。
そして、姉と相談し、弁護士さんを通すことにしました。
父の今までの行為を、弁護士さんを通して明るみにすることで、やっと閉ざされた家庭から正攻法で自分たちを守ることができました。
これから父が老いていく中で、どのような状況になっていくのかわかりません。
どんな権力者でも老いは必ず来ます。
父がどのように自分を見つめて過ごしていくのかが、子供として気になります(こんなことをされているのにまだ心配をする気持ちもあります)が、もう考えるのはやめるように努力しようと思います。
自分を説得するために、以下のように考えるようにします。
①父は人を愛せない
父は、私たちをモノとしか見ていなかったことが恫喝時にわかりました。悲しいことに、そのようなことを言われました。子を持つ親になって、その異常さに気づきます。
母自身も「自分はあの人の所有物なんだ。」と言っていました。
愛されていなかったのだと思うと、絶縁を受け入れたことに罪悪感が無くなっていきます。
父は、自分の思うように動く駒が欲しかっただけです。そこに、無償の愛なんてありません。
②父のせいで、私たちはアダルトチルドレンになった
私たちは、機能不全の家庭で育ったので、精神的に色々と抱えています。
自分のための人生を歩むために、「父のせいで」と思うようにします。今まで、このメンタルの弱さや性格を「自分のせい」と思いこみ、鬱になる寸前まで行きました。(一時、脳神経外科に通いました)
顔色を伺いながら生活する人生から脱却していいのです。
③自分のこどもを守るため
父と孫は少なからず接触がありました。私が恫喝される現場を近くで見ていた子供たちは、あまりのことに泣き出しました。
人が恫喝されるのを見るのは、人生で初めてだったのです。
こんなことをされる場所へ、こどもを連れて行きたくありません。父と離れることは、子供を守るために必然の行為です。
弁護士を通すことで、わたしたちは、父のマインドコントロールができない存在となりました。
自分の人生をやっと歩きだせそうです。